2017年03月26日

障害者年金(その1)

タケちゃんは、療育手帳Aを持っています。
実際に、今でも自発語がほとんどなく、「トイレに行きたい」「歯が痛い」等の危機すら訴えることができません。

そのような、いつまでも子供のようなタケちゃんですが、それでも20歳の誕生日を迎え、成人となりました。
20歳。障害者にとっては、本当にややこしい手続きが待っていたのですが、そんなことに疎いというか、あまり気にしてこなかったことから、大慌てでいろいろな手続きをすることとなりました。

まずは療育手帳。
今までは、家から比較的近い「子供家庭センター」で判定をしていただいていましたが、20歳を迎える直前に、長い順番待ちを経て大阪市内の「大阪府障害者自立支援センター」へ行かなければなりませんでした。受検後も手帳の交付まで2ヶ月くらいかかりました。
これは、誕生日に間に合いましたが、障害者に対する支援やサービスの更新は、新たな手帳が交付されてからとなりますので、手帳交付後にも多くの手続きが必要でした。
最大の難関が「障害者年金」の申請でした。

20歳になると、間髪入れず「年金の掛け金を納めるように」との案内等が送付されてきます。以前から「20歳になったらすぐに年金の手続きをした方がいいよ」と友人から言われていました。
新たな療育手帳が交付されたことから、9月上旬に市役所に行き、申請書類一式を受け取ったのですが、「病歴・就労状況等申立書」と「申請用の診断書」に時間がかかりそうです。
タケちゃんは、幼少の頃からいろいろな医療機関にかかって、診断や訓練、指導を受けてきましたが、それも一段落して、ここ数年は歯医者くらいにしかかかっていません。
障害認定のための診断書の作成には、新たに精神科等を受診して、検査を受けて診断書を発行してもらわなくてはいけませんが、その診断書を書ける自宅近くの病院は2ヶ月待ちと言うことです。
仕方ないので、2ヶ月待って、複数回通院して診断書を書いていただきました。
診断書と申立書の整合性や、内容、文言によってシビアに等級が変わるとのことで、ましてや今回初めてかかったお医者さんですので、誤解がないように、タケちゃんが生まれてから今日に至るまでの流れや出来事をA4用紙に8枚、また、「今、タケちゃんができること・できないこと」をA4に6枚作成して、診断に当たっての参考情報として先生に読んでいただきました。

とここまでは転勤前の話。今から思うと当時はお父さんにもまだ余裕があったのですが、9月中旬、さらに忙しい部署に転勤となり、診断書ができあがってからも手続きが進まない状況となりました。
お母さんは「書類嫌い」で期待できないので、お父さんが手続きをするしかないのですが、お父さんは寝るだけの生活となったことから、そのまま放置状態となってしまいました。
12月入り、診断書の有効期限も迫ってきたので、仕事が軌道に乗りかけている好機を捕らえて、会社に事情を説明して仕事を休んで申請に行くことにしました。
それまでに、申立書や補足説明のペーパーを作成しなければいけません。
お父さんは夜遅く家に帰って、毎日1時間ずつ、チマチマと書類を作って、お母さんの決裁をとって、やっと完成しました。申立書の状況欄は別紙にして、その別紙を4枚(出生から申請日までの流れ)、医者に提出した「できること・できないこと」を修正したペーパー6枚を添付して、その他の必要書類とともに提出しました。

申立書を別紙にして詳しく書いたり、本来は必要のない「できること・できないこと」のペーパーを添付することについて、お母さんは友人から「揚げ足をとられ等級を下げられるリスクがあるからやめときなさい」と止められたそうですが、お父さんは「ありのままのタケちゃんを見てもらえば、自立・自救ができないのは明らか。誤解がないようにも、あえて説明したい」との思いから、書類作成に時間がかかりましたが、お母さんの反対を押し切って書類を添付しました。

社会保険労務士に依頼するという手段もあり、お父さんは当初「時間がとれないから依頼しよう。成功報酬2ヶ月分としても、お父さんが試行錯誤して申請が遅れる事を思えば、早期の申請でペイできるし、何より手続きが確実だし」とお母さんを説得してみましたが、「多少遅れてもかまわない。大げさにしたくない」と言う、なんだかよく分からない理由で自力での申請にこだわっていました。その様なことで、お父さんが書類を作って申請することとなったのです。

3月に入って、1級に認定されたとの通知と証書のようなものが送られてきました。
お父さんは会社から帰宅後にチラッと見ただけなので、書類の名称は分かりません。
年間で90万円ほどいただけると言うことで、国民の皆様に支えていただく事になりました。本当に感謝です。

お父さんは、最近、心臓の動悸を強く感じて、寝られなかったり夜中に目が覚めたり、人と喋っていてもむせ込んでしまうことが散見されるようになり、「もうすぐ心臓が止まるかも」と心配しています(人に話すとストレスだとか更年期だとか言われるし、病院に行きたいですが忙しいので放っています)。
お父さんの父も56歳で脳卒中で倒れたので、不摂生を続けている私は長生きできないと覚悟しています。
もし、そんなお父さんが死んでしまっても、タケちゃんが年金をいただいていれば、それを資金に施設に入れるので少し安心です。
そんなことで、今の生活が苦しいわけではありませんが、障害者年金を申請することにしたのです。

1級をいただいたので、言い方は悪いですが「申請は成功した」と言うことになりますので、いつもこのブログを訪問していただいている障害者の保護者(?)の方々に申請書類を公開しようかとも考えましたが、内容を見ると、医療機関や学校など具体的な名称がたくさん出てくるので、たぶん公開は無理でしょうね。

タイトルに(その1)と付けたのは、その2以降でもう少し詳しく記録していきたいと考えたからです。
市役所でどうだったのか、病院で何を説明してどんな検査だったのか、診断書や申立書の内容はどうだったのか、各々の手続き等に要した時間はどれくらいだったのか、等々。参考にしていただきたいことがあるので、時間を見つけて書きたいと思います。

では、次の更新はいつになることやら・・・😃
posted by あゆたけ at 17:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月06日

籾米を精米する

今年の夏は、3年ぶりにお母さんの実家に帰省しました。
お母さんのお母さん(ばあちゃん)は80歳。娘や近所の人に手伝ってもらいながら、まだ畑や田んぼを作っています。
大阪に戻る際、籾付きの米を持って帰りました。米をコンバイン袋にパンパンに入れて3袋、2俵弱と言ったところでしょうか。いつもは精米した米を宅急便で送ってもらっていますので、車に積めるだけ積んで帰ってきたのです。

鹿児島では、籾付きで保存して精米機や米屋さんで精米するのが主流のようです。コイン精米機も「もみすり付き」が当たり前。でも、大阪では、玄米で保存するので、精米機はもみすり機能がありません。

約4年前にも、籾米を持ち帰って、精米機探しに奔走して、結局、車で2時間ほどのところにある精米機で精米しました。その時の記事はこちらです。
http://kenzo-papa.seesaa.net/article/249210191.html


今回も近くにないかと探していたところ、いつも肥料を買いに行く農協の職員さんから、なんと自宅から約20qのところにあるとの情報を得ました。車で行けばすぐ。高速も使わなくてよいから経済的。

早速、行ってきました。

今回はお母さんとお父さんの2人で出発。
自宅から約30分。

途中で烏骨鶏の卵を買ったりしながら到着です。

精米 (1).JPG

この、何というのか知りませんが、タンクのようなものが付いるのが、もみすり付きの証。

精米 (2).JPG

入口には「もみすり付き」の表示が😃

大阪府豊能郡能勢町地黄2240
「能勢けやきの里」の入口に設置されていました。

用意していた100円玉〜10枚を使い切って夫婦ともにご満悦。


帰りは、子供がいれば名所巡りでもするところですが、夫婦だけなので、



精米 (5).JPG

に立ち寄って帰りました。
posted by あゆたけ at 15:43| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月14日

お父さんの転勤

忙しい部署で、大変な思いをしていたお父さんは、精神科の先生に話を聞いてもらいながらも何とか堪え忍び、やっとこさ9月に転勤となりました。
だが、しかし、転勤先も、誰もが「大変らしいね」とささやくところ。

お父さんは「なぜ大変なところばかりなのか」と納得できません。

転勤1ヶ月前に、本社で2番目に偉い人に呼ばれて「次は○○に行ってもらうけど大丈夫か?」と、断れない言い渡しを受けて落ち込みました。
やったことのない分野の仕事。
1から覚えなければいけないし、仕事は山のよう。
なぜ、私ばかり・・・。

いわゆる昇格ポストなのですが、事務量が半端ないです。
昇格する前に体を壊すかも。
posted by あゆたけ at 20:16| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月25日

太ってきたタケちゃん

事業所に通い出してまもなく1年。念願だった自宅までの送迎もしていただき、順調に過ごしています。事業所は、自宅から約2q位のところにあり、作業所や事務所があって、古物販売の店もやっています。作業所では、陶芸などの焼き物を作ったり、封筒への折り込みや何かの編冊、袋入れなどの軽作業もしているようです。タケちゃんは、支援学校から見学に行った際に、明るい雰囲気と陶芸作業の様子を見て気に入ったのではないかと思います。見学した直後に「○○がいいな」と口にしていました。実際に働き始めると、パンや物品の販売で役所や学校などの施設を車で巡回したり、公共施設の一角でパンや古物の販売をしたり、出店で店番をしたりと、施設外での仕事が多いようで、本人もそれなりに楽しく過ごしているようです。週に数日は、事業所に居残っての作業のようで、陶芸では職員の方から「器用で、教えなくてもサンプルを見てどんどんレベルを上げています。」とほめていただき、本人もますます調子に乗っている状態です。確かに、手の込んだ作品も多く作っていて、販売していただいたり、作品展に出品していただいてもいるようです。そんな、順風満帆なタケちゃんの新たなスタートですが、食事のことでの問題を抱えています。事業所では、皆さん昼食は給食屋さん(障害者関連の店らしい)の弁当を取っているようで、居残りや公共施設に出張るときは注文して食べているようです。ところが、タケちゃんは、その弁当がどうしても苦手なようで、全く手をつけません。そう言えば、スーパーの総菜弁当でも、A店の弁当は喜んで食べるけどB店の弁当は必ず全く食べない、と言った具合で、タケちゃんの両親や兄弟には感じない何かを感じるようです。味かな?臭いかな?添加物かな?家では好き嫌いも少なくなって、いろいろなものが食べられるようになったタケちゃんですが、同様に家で調理した自弁は子供の時から食べないし、レンジで温めてもだめでした。この給食屋さんの弁当も、お腹がすいていても全くダメなようです。そんなわけで、居残り時はコンビニに買い出しに、公共施設では食堂に行っての昼食となるので、千円札の入った財布を持たせて、職員さんにお願いしています。食べるものは自分で選んでいるようで、パスタがお気に入りのようです。「カルボナーラ大盛りとおにぎり」や「明太子スパゲティ大盛りと・・・」など、大盛りとご飯系を頼んで、700円も800円も使っています。お父さんの昼食の倍ほどの値段です。うらやましい・・・。それに加えて、最近ではジュースも飲んでいるようで、1000円使い切り状態です。そんな生活が続いて、最近肥えてきました。お腹も出てきて二重あご。WiiFitでも「太り気味です!」と警告されています。タケちゃんは、川崎病で心臓の血管が萎縮する恐れがあるので、担当医から「絶対に肥えさせてはいけません」と注意されているのに、大失敗です。まずは食事制限。職員さんにもお願いして、大盛りは控えさせないといけません。かわいそうだけど仕方ないか・・・。
posted by あゆたけ at 16:19| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月07日

休止解除

タケちゃんが支援学校を卒業して、ブログは勝手休止していました。
理由は、
○お父さんの仕事が大変忙しくなったこと。
○タケちゃんのおじいちゃんが、春先にインフルエンザをこじらせて容態が悪くなり、夏に他界したこと。
○タケちゃんが卒業したことでブログをやめようかと考えていたこと。
等々の理由から、一旦、告知なしに休止していました。

仕事に振り回されて、ブログを続けていく気力がわかなかったと言うのが正直なところかな。

しかし、アクセスログを見てみると、時々常連様も見に来ていただいている様ですし、本当に申し訳ありません。

タケちゃんの記録とお父さんの日記がてらに、月に数回でも書き込もうと思い直して、久しぶりに開いてみました。
これからは時々、折に触れて書き込んでいこうと考えていますので、よろしくお願いします。


卒業後、今年から始まったと言う新制度に振り回されながらも、タケちゃんの住む市内にある「就労継続支援B型事業所」に入所することができました。
選定については、支援学校高等部に入学した頃から、先輩ママの意見などを参考に、3カ所を候補にしていました。
そして3年生になって、本格的に見学や説明会などに参加しました。
その中で、こちらの希望としては「送迎があること」と「長期間通所が可能なこと(タケちゃんは自発語や感情の表現などの成長が難しいと感じています)」であり、その上で、タケちゃんが気に入るところがあればそこにしようと考えていたのです。

タケちゃんが通う事業所(作業所)は、見学の際にタケちゃんが大変気に入って、帰宅後も「○○に行きます!」とご機嫌でした。近所に住むダウン症の先輩も通っていることから、近所まで送迎可能と言うことで第一候補に選定しました。
他に希望者があれば入所できない可能性もあったことから、事業所に何度も足を運んで顔つなぎをしたりと、それが効果があったのかどうかは分かりませんが、無事に契約することができ、4月6日から通い始めました。

本来、4月1日から契約・通所のはずだったのですが、3月末から4月はじめにかけて、4泊5日で沖縄に家族旅行に行く計画をしていて、そのことを伝えて快諾をいただき、日遅れの就職となりました。
送迎も自宅まで来ていただくことになり、タケちゃんは初日からご機嫌で通っています。

事業所での様子は、別の機会に改めて触れたいと思います。

posted by あゆたけ at 14:01| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月10日

タケちゃんの春休み

支援学校を卒業したタケちゃんは、明日から就労支援施設に実習に行くのですが、今日は何もすることがなくて家でのんびり。

午前9時半まで寝て、パンを食べて、急に着替えを始めました。
どうも、お父さんが、おじいちゃんの入っている特養に見舞いに行くのを察知したようです。
お姉ちゃんは「昼から学校に行く」と言ってゴロゴロしているし、お父さんは動く気配がないので、タケちゃんは今はゲームをしています。

一昨日は、気温が15℃まで上がりましたが、今日は一転、真冬のような寒さです。
先ほどからは雪が降ってきて


雪が降った (1).JPG


お姉ちゃんのバイクにも積もっていました。


タケちゃんの期待に応えるべく、これから特養に行ってきます。
posted by あゆたけ at 11:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月08日

ちょっとビックリ

卒業まであと2週間と言う時期に、支援学校の進路の先生から「事業所の予約は済んでいますか?」との電話連絡がありました。

お母さんが受けて、仕事中のお父さんの携帯に「どういう事?」と電話があり、お父さんも「???」。
お母さんが、同級生のお母さんに聞いて内容が判明しました。
平たく簡単に言うと「タケちゃんの住む市では、今年度から、進路を決定するに際し、就労移行支援事業を実施している施設に数日間入所して、能力の程度を見極め、進路の的確な判断に資するための施策が開始された」と言うことです。
そういうことだと理解していますが、ちょっと違うかも?

お母さんは、進路の段取りをとるに際して、数年前に支援学校を卒業した先輩お母さんからの情報を参考に動いていたことから、今年度から始まった施策には気づきませんでした。
お母さんは、落ち着いて、よくよく考えてみると、2年生の頃に学校で進路の説明があって、その時にそのような話があったような気がする、と思い出しました。
同級生のお母さんの話と合わせて、どうもお母さんが失念していたようです。

学校から施設を紹介していただき、慌てて施設に連絡を入れると「大丈夫ですよ。早速入所の手続きをして、今月中には終了できるようにしましょう。駆け込みの方は他にもいますよ」と言っていただきました。

昨日、早速面接をして、週明けから数日間の実習が始まります。
無理を聞いていただいて、大変感謝しています。

私たちのミスですが、何度も学校にも進路の相談に通っていたのだから、もう少し早く気づかせてくれればよかったのになぁ、とも思います。責任転嫁してはいけませんが・・・。

進路の決定と見極めが逆になり、卒業式後に実習に通うなどイレギュラーな展開となりましたが、何とか春から「B型事業所」に通えそうです。
posted by あゆたけ at 06:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月07日

ついに卒業式

3月5日
タケちゃんの支援学校では卒業式が執り行われました。

思えば、2歳で療育型保育所に入所し、そこからお父さんも、できる限り保育所に通うなど積極的にタケに関わってきたつもりです(お父さんなりにですが)。
そんな意味でも、お姉ちゃんやゆうくんには申し訳ありませんが、タケの卒業式にはなんとしても出席したかったのです。

お父さんは、この日は仕事。しかも異動日で、部下が総入れ替えというタイミングの悪さ。
通常、そんな日に、担当部署の責任者であるお父さんが休むなど考えられませんが、今回は、1ヶ月前から段取りをして、午前中は有休を取りました。
日頃から、ちゃんと仕事をしていてよかった(男として当たり前かわーい(嬉しい顔))。

当日は、朝、夫婦で送迎のバス乗り場まで行って、送迎の先生とバスの運転手さんにお礼の挨拶。
その後、学校に向け車で出発。

卒業式の練習では、「○○くん」、『○○くん、はい』とオウム返しが混じるので、それを直すように練習していることが、連絡帳に書かれていました。

で、本番。
介助なしで、ちゃんと待機位置まで進み、「○○くん」と呼ばれると『はい』と返事して舞台上に。
礼をして、校長先生が文面を読み上げる間、きおつけして、両手で受け取り、証書を脇に挟んで自席に戻りました。

小学校で、音楽会の舞台上で、じっとできなかったことを思うと、何という成長ぶり。
立派になったと、柄にもなく、涙が止まりませんでした。
お父さんは、目が赤く腫れてしまい、恥ずかしい状態。
ここまで育ててくれた先生方には、本当に感謝です。

写真はないのでUPできませんが、個人的には、本当に感動の卒業式でした。

明日から、タケは学生ではないのだと思うと、少し寂しい気がします。もう1年学校に通わせたい気もしますが、そんなことを考えずに、タケの新たな出発を応援・支援してゆきたいと思います。
まずは、ダイレクトに相談できるチャンネルを確保しないといけません。

posted by あゆたけ at 11:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月09日

タケちゃんのお手伝い


お母さんから「書くな!」との厳命を受けている、お母さんのがん治療のことですが、両手のしびれや痛み、節々の痛みや倦怠感等々、お母さんのつらい状況は続いていますが、そんな中でも、手の不自由は相当つらいようです。

家事を家族に分担することは、お母さんにとっても心理的に負担になるようなので、リハビリを兼ねてパートも再開していますし、家事も極力お母さんがするようにしています。

お箸を落としたり、缶のプルタブが開けられなかったり、箸でつまんだ物を落としたり、コップを落として割ったり・・・。パート先でも物を落とすことはよくあるそうで、それなりに理解を得て頑張っています。
洗濯物をたたんだり、食事を作るのも「時間が3倍かかる」とボヤいています。

それでも、まだまだ家族で家事を分担していて、タケちゃんも、言われなくても収集日前日にすべてのゴミ箱のゴミを集めてくれる様になりましたし、掃除機もかけてくれます。



当初使っていた抗がん剤の影響で、お母さんはハゲ頭になり、カツラを愛用していましたが、薬が変わってから頭髪も生えてきて、今はクリクリのパーマ状の毛が4pほど生えてきました。
そんな抗がん剤治療もこの春で終わりますが、手のしびれなどは、終了後もしばらく続くようです。

あとは、タケちゃんのためにも長生きしなければならないので、再発しないよう祈るばかりです。
posted by あゆたけ at 10:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月08日

今頃ですが、本年もよろしくお願いします。

本年初書き込みなので、新年のご挨拶をさせていただかなければいけないところですが・・・。
放置状態で、ときどき訪問していただく常連様には、大変申し訳なく思っています。

昨年は、タケちゃんがこの春で支援学校を卒業するので、今後の進路を考えなければいけませんでした。
タケは、こちらの言うことは大体理解しているようで、また、場の雰囲気や流れもよく見ているので、スケジュールや見通しを立ててやれば、問題なく生活しています。運動神経も抜群で、手先を使う作業も器用にこなすので、支援学校の先生からも「全く手がかからない」と言われています。

そのような中で、タケにとって就労するに向けてのネックになっているのが、「自発語が出ない、自発的な意思表示ができない、生理現象(トイレや体調不良等々)すら伝えられない」などであり、タケを受け入れるについては、その旨の理解とそのことを踏まえての対策が必要となります。
と言うことで、それを理解して対応していただける事業所というのは、一般の事業所(と言う言い方でいいのかな?)では難しく、事業所の負担も大きいしタケ本人の負担も大きいと思われます。親としても安心して任せられることと、タケの今の状況から考えて、選択肢としては就労継続支援事業所かな、と言うことで、この1年は就活をしてきました。

学校からは、たくさんの資料や事業所見学会の案内をいただいたり、大阪府北部の福祉施設や事業所が集合してブースを設け複数の支援学校が参加する合同説明会を開催していただいたり、進路担当の先生との話し合いを何度もしていただいたりなど、いろいろなご意見をいただきながら、できるだけ近くの事業所がいいなどと、わがままな要望をして、昨年夏頃から市内の3つの事業所に絞って、それぞれ体験入所に参加しました。

どの事業所でも「十分受け入れは可能ですよ」とのご意見をいただき、それぞれの事業所の特徴や今後の見通し、お母さんの「できれば近所まで送迎してほしい」などとの要望を踏まえ、検討しました。

タケは、どの事業所体験でも「楽しかった」旨の感想でしたが、就労継続支援B型のS事業所での体験後の反応がピカイチで、帰宅後もしばらくはニコニコしていました。
秋頃、進路の選択にあたって、最後はタケに3択で選ばせたところ、即座にS事業所を選択しました。

すぐに学校に連絡し、S事業所にも「入所を希望するので手続きを教えてほしい」と連絡をして「是非来てください。手続きは学校経由で案内します」と快諾を得て一安心。春までには半年あるので、希望者が殺到しないかと心配しながら年を越すこととなりました。

S事業所では、衣類や雑貨の古物販売もしているので、時々お店をのぞきながら、忘れられないように事業所の人との顔つなぎにも努めました。
そんな中、やはり確約をいただいたわけではないし、何か書類を書いたわけでもないので、日に日に「大丈夫かなぁ」との心配が募ってきます。
年末、念のため確認しておこうと、事業所を訪問した際に「何か手続きすることはないですか?」と聞いてみたところ「1月中に書類を送ります」との返事で、学校からも「ほぼ内定と聞いています」との話がありました。

年明け早々、事業所から、日常生活や各種能力、こだわりや自傷など配意すべき事を確認するアンケートが届き、それを提出して一安心しているところです。
このS事業所には、小学校の養護学級で一緒だった、近所に住むダウン症の先輩が送迎付きで通っているので、お母さんも安心なようです。

これら流れは、もっともっと細かく、タイムリーに、ここに日記風に書きこめられたらよかったですし、そういうことを発信するためにこのブログを始めたはずなのですが、事情はあるとしても、それができなかったことは悔やまれるところです。
posted by あゆたけ at 12:24| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする